王道のレールから外れたときに感じたこと
ボクは以前から通っていた若者就労支援所で研修をしていた若者たちと数人のスタッフで『自分たちの生きづらさとは何か』という漠然とした問題について月2回話し合いをしています。
来たことない人に言うと「休みのときや仕事のあとによく行くね~」とよく言われますが、これがボクにとっては自分を知ることにつながってとても為になっているので趣味と思っているくらいです(そのおかげで交感神経が高ぶって昨夜の不眠につながった可能性もあるんですが😥)
今回のテーマは「どうして自分が人生のレールを外れたと思ったか」
そこに来ている若者はボクも含め仕事が長く続かなかったり、就活をしないまま年月を重ねてしまったり、学校に行かなくなったまま長年引きこもっていたりと一般的な王道レールに乗っていない人しかいません。
ボクも最初の就職は3ヶ月で辞めてしまったしその職場でうつ病を患い、そこからバイトをやっては続かず引きこもり、半年くらいでまたバイトを始めるといった時期を何年か続けてました。
そんなわけで今回のテーマは自分と関係が深く、これまでの年月をかけて考えてきたことや今回の話し合いの中で気付いたことを書いてみようかなと思います。
自分にとっての王道のレールを外れるとは
ボクの場合は「大学や専門学校を卒業し仕事就いてに毎日行き続けて給料をもらい一人で自立して暮らしていく」ことがボクにとってのレールなのかなと思いました。
だから仕事を辞めたときはレールから外れたに当てはまるはずでした。
しかしボクは世間知らず(考えてない、バカ?)だったこともあり、だったらとりあえずバイトしながらやりたいこと探せばいいやとか思っていたし、当時英語が出来る職場の人を見て英語ができたらカッコいいなと留学することを決意してましたw
その後、一応タイに3週間ほど留学したのですが英語ができるようになったわけでもなく、あまり上手くいかなかったわけです😅
そのためレールから外れる=仕事を辞めるという方程式ができていたみたい。
でも昨日話し合っていてある人の考えがボクにとって衝撃的だった。
その人の考えでは
「自分の現状を自信を持って人に説明できないときにレールから外れたと思った」
と言ったのだ。
たしかにそうだ。。。
人に現状を説明できない時期は何度もあってそれは恥ずかしくて人には見せたくなかった。
でもそれをレールから外れたに結びつけたことはなかった。
仕事をやめても留学という次の目標があるときは恥ずかしいと思った記憶がない。
目標に向かって歩もうとしているときは自信がもてるのです。
ちょっとした気付きだけど衝撃的で大きくボクの考えをスッキリとさせたのでした🤗